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[3705] 今日も銀ぎん!/2021.05.04(火) 15:25

 『中学時代、M先生の想い出で銀ぎん!』 2021年5月4日(火)

私の自叙伝『師弟〜笑福亭鶴瓶からもらった言葉〜』。
お読みくださった方々から、多くのご感想を頂いております。
本当にありがとうございます。

先週、何度もラジオに出て、本のPRをさせて頂いたのですが、誠にタイミングが悪いことに、緊急事態宣言の真っ只中で、閉まっている本屋さんがあるんですね。
梅田の紀伊國屋書店も、その一つです。
サイン本も置いてくださっているだけに、残念です。
開店したら、皆様、ぜひよろしくお願い申し上げます。

先日、『師弟』に掲載できなかった、学生時代に佐野元春さんを知ったエピソードをここに書いたところ、「他の話も読みたい」というお声を頂きました。
そこで、「サイドストーリー」ということで、中学3年生の時の話を掲載します。
英語のM先生のことです。
先生の名誉のために、イニシャルにしました。
長いですが、お付き合いください。



1982年(昭和57年)4月、中学3年生になった。
この年、プロ野球では、ロッテオリオンズの落合博満選手が、史上最年少、28歳で三冠王に輝くのであるが、バリバリのジャイアンツファンだった私は、ほとんど知らなかった。
もっと、ロッテ時代の落合選手のプレーを観ておくべきだったと、後悔している。

担任は前年に続き、石原基司先生に決まった。2年の時、いい印象だったから嬉しかった。
クラスメイトは、男子も女子も楽しい奴ばかりで、毎日、馬鹿なことばかりやって、笑いが絶えない教室だった。
特に、田丸敏夫くんとは馬が合い、漫才とまではいかないが、休み時間になると、2人の掛け合いで同級生たちを笑わせた。それが快感だった。

中学生時代のことを書くにあたって、先日、石原先生と電話で話した。卒業以来、ずっと年賀状のやり取りを続けているし、何かあれば、いつでも連絡できる。
先生がご結婚された時には、同級生を集めて、ささやかながらお祝いのパーティーを開いた。
コロナウイルスの影響が出るまでは、年に数回、私の落語会にも足を運んでくださっていた。
早く先生に落語を聴いて頂きたい。
その電話の中で、私が忘れていた、こんなエピソードを教えてくださった。
ちなみに先生は、私のことを「銀瓶ちゃん」と呼んだり、あの頃のように「まっちゃん」と呼んでくださる。松本だから「まっちゃん」である。

「3年の時、まっちゃんと田丸が、新聞を作ってくれてなぁ。『松丸新聞』言うて。まあ、学級新聞みたいなモンやけど。その時、別にそんな習慣はなくて、他のクラスも作ってなかったんや。こっちが作ってくれ言うて頼んだわけでもなく、勝手に作ってくれたんや。どんな内容やったか、もう覚えてないけど、なんか、ありがたかったなぁ。…えっ?…先生が、こんな新聞外せって言うたかって?…言うてないよ。言うてないはずや」

その新聞のことは、先生に言われて思い出した。何回作って、何を書いてあったのか、私も覚えていない。きっと、くだらない下ネタ満載だったはずだ。

3年の春、他の学校から新しい先生が赴任して来た。校庭に全校生徒が整列し、先生が順番に朝礼台に上がり、赴任の挨拶をする。
英語のM先生が立った。背はそれほど高くないが、肩ぐらいまで髪が伸び、色の薄いサングラスをかけている。パッと見は大人しい、一昔前のフォークシンガーといった感じ。
M先生が言った。

「先生は遠慮しません。手ェも出します。時には、足も出します。それだけは、先に言っておきます」

みんなで、「おい、英語のMって、怖そうやな」と囁き合った。生徒同士の間では、先生のことは呼び捨てにしている。
今では、教師が生徒に手を上げることは絶対に許されないことであるが、我々の時代、そんなことは当たり前だった。また、叩かれた子の親が、学校に怒鳴り込むなどということもなかった。
親が自分の子に、「アンタが悪いんや」と言って、それで終わりだった。

1980年代前半、世の中には「校内暴力」の嵐が吹き荒れていた。
ドラマの『金八先生』や、尾崎豊の名曲『卒業』の歌詞にある「夜の校舎 窓ガラス壊してまわった」的な感じで、多くの中学校で問題が起きていた。
ところが、我が、神戸市立烏帽子中学校は、本当に大人しい学校で、窓ガラスが割られるなんてことはなかった。野球部が狭い校庭でフリーバッティングをして、なかなかバットに当たらない奴が珍しくジャストミートした球がガラスを直撃したことくらいしか、私は覚えていない。
それでも、数人のヤンチャな生徒はいた。そして、彼らが校区外へ出て、他校生とちょっとした揉め事を起こしたというようなことは時々耳にした。

3年の夏休み前くらいだったか、4時間目が始まった頃、校内が騒然とし始めた。
なんと、少し離れたところにある他の中学校から、その学校を代表する「悪(ワル)3人組」が、殴り込みに来たのだ。きっと、ウチの生徒とトラブルがあったのだろう。
校庭の隅で、長身の3人が何やら喚いている。そこへ、烏帽子中学の先生が数人駆けつけ、なだめているようだった。「早く帰りなさい」とか言っているのであろう。
授業そっちのけで、全ての窓から生徒が顔を出し、事の成り行きを見守っている。
私も田丸くんと並んで、3階の窓から注目していた。
一向に収まる気配がない。
その時、西側の校舎から颯爽と姿を現したのが、英語のM先生だった。
多くの窓から「おおっ!」という声が上がった。

「まっちゃん、Mが出て来たで!」

田丸くんが興奮しながら私の肘をつついた。
「そうやな」
私は唾を飲み込んだ。
ついに、あのM先生がベールを脱ぐ時がきた。

「手ェも出します。時には、足も出します」

赴任の挨拶で、みんなを震え上がらせた、パッと見は大人しいM先生が、どんな風にあの3人組を蹴散らすのか、学校中の視線が集まった。
M先生がどんどん近づいて行く。それとともに、生徒たちの「おおっ!」という声も大きくなっていく。
M先生が3人組の真横まで来た。いよいよ、何かが起きる。
はずだった。

先生は通り過ぎた。 
横を見ると、田丸くんが「?」みたいな顔をしている。きっと私も同じ表情をしていたはずだ。
「あの人、どこに行くんやろ〜?」という空気が、校舎の隅々にまで充満していた。
他校から来た3人組ではなく、M先生の動きを、みんなが凝視していた。

先生は、パン屋さんに入って行った。
「ローザンヌ」という名の近所でも人気の美味しいパン屋さん。
しばらくすると、パンの入った紙袋を手に持って、店から先生が出て来た。
そして、先生はまた、3人組の横を通って、校舎の中に消えた。
私はそれから、M先生の英語の授業が、さらにまた楽しくなった。



あの日も、今日のように快晴でした。
M先生、どうされているのかな?
先生の英語の授業は、分かりやすくて、私は大好きでした。
「ローザンヌ」のパンも本当に美味しかった。

では、風呂上がりのビールを楽しみに、今日も銀ぎん!^^