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[3707] 今日も銀ぎん!/2021.05.06(木) 10:57

 『ケイスケサカモトとの出会いで銀ぎん!�』 2021年5月6日(木)

昨日とはうって変わって、気持ちのいいお天気。
先ほど、直筆で少し長めの手紙を書きました。
それも縦書きで。
横書きよりも縦書きは緊張しますね。
最近、直筆でモノを書くことが少ないため、時間がかかります。
字というのは不思議なもので、綺麗に書ける日もあれば、
全くダメな日もあります。
その時の精神状態とか、そういうものも関係しているのでしょうか。
あと、呼吸の状態も密接だと思います。
呼吸が浅い時は、何をやっても、あまり良くないですね。

自叙伝『師弟〜笑福亭鶴瓶からもらった言葉〜』のサイドストーリー。
昨日の続きです。
シンガーソングライター・ケイスケサカモトさんとの話。



2011年5月9日、リョウ(ryo)さんが急性心不全で亡くなられた。
ほんの少ししか話していないのに。
お通夜で、ケイスケ(keisuke)に言った。

「ケイスケ、歌、やめるなよ」

憔悴しきった顔で、しかし彼は、小さく「はい」と答えた。
そして翌月から、「オオザカレンヂ keisuke」として活動を再開した。
彼のライブに行き、彼の歌で元気をもらった。
子どもの頃から歌が好きで、学生時代、友人とバンドを組んでいた私であるが、噺家になってからずっと、音楽と距離ができていた。ゆっくりと音楽に浸る、そんな心の余裕がなかったのかもしれない。
久々に音楽に触れるきっかけを与えてくれたのが、オオザカレンヂとの出会いだった。

心のよりどころであったリョウ(ryo)さん亡き後、自らの世界を切り拓こうともがいているケイスケと、2人で一緒に何かをしたくなった。
それは自分のためでもあった。年に数回、ケイスケと小さなライブをすることで、自分の新しい世界を作り、自身に刺激を与えたかった。
私にそう感じさせたのは、ケイスケの曲、歌声、普段の振る舞いなどに垣間見ることができる、彼のピュアな人間性に他ならない。
ケイスケもそれに応えてくれ、2012年から不定期でライブを開催した。
2人で歌い、喋り、ケイスケが歌い、私も歌い、また2人で喋る。

「次はもっとこうしよう」と考えることで、私にとっても勉強になった。
そうやって一緒に過ごしていると、私の方が13歳も年上であるにも関わらず、時々、ケイスケの方が大人だなと感じることもあったし、あるいはまた、落語と音楽という違うジャンルなのだが、人生の先輩として、私からアドバイスすることもあった。
少しずつ、本当に少しずつステップアップしているケイスケに、私は一つの提案をした。

「今までやったことのない、経験したことのない大きな会場で、自分のライブをやるべきだ」

噺家が自身の落語会をする場合、最初は50人くらいの小さな会場でスタートする。そこをいっぱいにできるようになったら、次は100人の会場、その次は200人と、キャパを大きくしていく。
100人しか入らないところで続けていたら、100人を超えることはできない。少し背伸びをしてでも、大きな会場に移すことによって、自分も大きくなれる。
ケイスケに、思いっきり背伸びをしてほしかった。

2015年9月20日、心斎橋にある「BIGCAT」で、オオザカレンヂ keisukeのワンマンライブが開催され、約300人のお客様が足を運ばれ、そこで、彼は躍動した。
もちろん、ライブは大盛り上がりの大成功。
私は自分の独演会が満席になった時よりも嬉しかった。
その後、ライブ会場を少しずつ大きくして、2017年12月22日には、サンケイホールブリーゼに約900人のファンを集めた。
もうすでに、初めて出会った頃のケイスケではなかった。私は、1人のシンガーソングライター、音楽のプロとして、ケイスケに全幅の信頼を寄せていた。

「30周年記念でライブをしたい。力を貸してほしい」
「落語はせずに、歌ですか?」 「そうや」
「オモロいですね」

自身の仕事もある中、バンドの編成、曲の構成、スタジオ練習の調整など、あらゆることを引き受けてくれた。
ケイスケを筆頭に、バンドメンバー、音響・照明スタッフのお蔭で、ライブ当日を迎えた。

2018年5月12日、ナレッジシアターには、約250人のお客様が集まってくださった。
400人のホールを満席にできなかったのは残念であるが、あまり欲張ってはいけない。
「笑福亭銀瓶の歌を聴いてあげよう」という心優しい、温かいお客様たちに甘えて、佐野元春、浜田省吾、やしきたかじんなど、私が大好きなシンガーの曲を思う存分、心を込めて歌った。
たぶん、恐らく、きっと、お客様たちは満足していたはずである。
もちろん、最も満足感を味わい、ライブを堪能していたのは、私自身である。
次は、40周年、いや、35周年で再びライブをやりたい。
やりたいことができるというのは、実に幸せなことである。

ケイスケにも転機が訪れた。
私のライブと同じ年、9月2日、オオザカレンヂ結成10周年を機に、「オオザカレンヂkeisuke」から、「ケイスケサカモト」に改名し、また、新たな扉を開いている。
多くの方々に、ケイスケサカモトの世界を肌で感じて頂きたいと願っている。

アグレッシブに動き、充実した2018年の締めくくりは、当然、落語会である。
10月28日、兵庫県立芸術文化センターにて『笑福亭銀瓶 30周年記念独演会』を催すことができた。
その7年前、『焼肉ドラゴン』で大きな拍手を浴びた、想い出の舞台。
約800人のお客様の前で、『阿弥陀池』、『たちぎれ線香』、『寝床』の三席を演じた。
この日もまた温かい拍手に包まれ、噺家として幸せな時を過ごすことができた。

光陰矢の如し。
まさにその通りである。
30年前、1988年3月28日、師匠に入門したあの日が、ついこの前のように感じる。

この30年で、自分は何をやったのであろう。何もしていない、わけではないのだが、取り立てて「これだ!」ということをしたわけでもない。
瞬間的な満足を感じたことはあるのだが、それはあくまでも、その瞬間だけのことである。
しかし、恐らくきっと、死ぬまでそうだと思う。だからこそ、前に進むことができる。
噺家になって30年という時間が経過し、素直にこう感じた。

「これまでの30年間は、次の30年間への助走にしか過ぎない」

本当の勝負が、やっと始まった。
それは、他の誰とでもない、自分との闘いである。



新型コロナウイルスの影響で、噺家、役者、歌手、演奏者など、
あらゆる舞台人、表現者が大きな危機に直面しています。
そんな中、ケイスケサカモトさんも、前を向いている。
自身の世界を構築しようと、もがいている。
しかし、彼は昔からそうだった。
常に、闘っている。
私も負けてはいられない。

長文をお読み頂きまして、ありがとうございます。

では、今日も銀ぎん!^^