笑福亭銀瓶さんの 出演情報を保存しております。

□「笑福亭銀瓶の出演情報」に もどる

「出演情報」を検索

archive

[1071] 今日も銀ぎん!/2008.09.27(土) 07:58

 『記事で銀ぎん!』 2008年9月27日(土)

急に気温が下がってきましたね。
昨夜なんか、ちょっとブルッとしました。
皆さん、風邪ひいてませんか?^^

先日の「客席でのメモ」についての件。
ちょっと書き方がキツ過ぎましたね。
何人かの知人から指摘を受けました。

でも、自分の気持ちに正直に書きました。
どこかの国の政治家みたいに、撤回したり、
「議事録から削除します」てなこと言いません。

ちょっと言葉足らずなのは確かです。
大きなホールの隅の方の席でメモを取るくらいならいいんです。
つまり、噺家から見えなければ。
小さな小屋の一番前の席で、何か言う度に書かれますとねぇ^^

まあ、このことに関しては、これで終わりにします。
僕のブログでお気を悪くされた方がいらっしゃれば、謝ります。
ごめんなさい。

ゴジャゴジャ抜きで、落語会には「気楽に」お越し下さい^^

9月24日(水)の朝日新聞・夕刊の一面に載せて頂き、
読んだ方からたくさんメールを頂戴しました。
ありがとうございます^^

特に関西版は、五面の芸能欄にも、先日の落語会、
「トリギン!」のことで書いて頂きまして^^

さてその中で、僕が演じた「立ち切れ線香」について、
「小糸の手紙が八十日で途絶え、若旦那が再会に訪れたのが
三七日の法事の日だったという元々の設定を明確にいかせば」
という件がありますが、これは、書かれた日高さんと僕の間に、
認識の食い違いがありまして、僕の説明不足と言いますか、
(そこまで説明せなイカンか?とも思いますが^^)
とにかく両者に食い違いがありまして…。

細かい説明は抜きにしますが、僕は間違ってないのです^^

落語の中で、
「そうやってどんどんどんどん届いた手紙が、
八十日目にプッツリ、イタチの道切り」
と言ってます。

この「八十日目」は「若旦那が蔵に入って八十日目」なのです。
ですから、若旦那が蔵から出た日は「三七日」なのです。

僕は当然、そのつもりでやってます。
ところが、「小糸が手紙を出した日から八十日目」だと、
思われたのです。
「小糸が手紙を出した日からの八十日目」では、当然、
日が合いません。

米朝師匠は、若旦那が蔵へ入れられた次の日から、
小糸の手紙が届くというやり方でされてますが、
僕は、「次の日から届くのは早いなぁ」と思い、
若旦那が蔵へ入れられた三日目のお昼過ぎ、
つまり、米朝師匠がされているやり方よりも、
「一日遅くに最初の手紙が届く」という設定でやってます。

でも、手紙が途絶えるのは、同じ「八十日目」なのです。

僕が噺の中で、
「そうやってどんどんどんどん届いた手紙が、
若旦那が蔵へ入って八十日目にプッツリ、イタチの道切り」
と言えば、混乱は起きなかったのかもしれませんが、
そこまで言わないといけないのかなぁと、正直、思ってます。

「わかるやろ?」と^^

しかしまあ、他にも同じように感じた方がおられるかもしれません。
ご理解下さいね^^

記事を読んだ後、日高さんに電話をして説明をしました。
誤解を解きたかったので。
あっ!言っておきますが、全然怒ってませんので^^

きっと皆さん、「銀瓶のことやからヤカラになったやろ?」と、
思ったでしょ?
「コラッ!何書いてけつかんねん!」と怒鳴ったと思ったでしょ?^^

ジェントルマンでしたよ〜^^
ウソだと思うなら、日高さんに聞いて下さい^^

今から、娘の小学校の運動会に行きます^^

では、今日も銀ぎん!^^