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[2161] 今日も銀ぎん!/2010.10.09(土) 12:31

 『慶州ナザレ園で銀ぎん!』 2010年10月9日(土)

さて、続いて書きます。

昨日、8日(金)は釜山総領事館の車に乗せてもらって慶州へ。
約2時間で到着。
初めて訪れた慶州は、聞いていた通り、大変美しい街。
山に囲まれ、空気が抜群に美味しいです。

スンドゥブチゲの有名なお店に入り、お昼ゴハン。
滞在中、早くも3回目のスンドゥブチゲ^^

午後1時過ぎ、慶州ナザレ園に到着。
大きな道路から細い道を少し入った所にある、とても静かな場所。

慶州ナザレ園につきましては、僕も今までに聞いたことはありますが、
詳しくは知りませんでした。
釜山総領事館から頂いた資料をそのまま書きます。
ちょっと長いですが、読んで下さい。

第二次世界大戦前に朝鮮人男性と結婚し、その後、
韓国に渡り定住した日系婦人等が、終戦当時、
約2500名程度いたと言われております。
その後、李承晩大統領時代の反日思想の中、
日本人であるということひたすら隠し続け、
まともな仕事にも就けないことから、生活は極めて貧しく、
辛いものだったようです。

1965年(昭和40年)に日韓が国交を正常化した後、
在留日本人は帰国できるようになり、その在留日本人(婦人、
及び、その子女が大部分)の帰国支援、保護施設として、
日本人牧師・菊池政一氏と韓国老人福祉施設協会会長、
故・金龍成氏が協力して、
慶州市内に在韓日本人婦人保護施設「ナザレ園」を設立。

同園では、在留日本人が帰国するまでの間、
同園にて保護を受けつつ帰国の準備をしたことから、
「帰国者寮ナザレ園」と称されてきました。
帰国希望者の中には、身体障害者や困窮者も少なくありません
でしたが、同園は温かく保護を行い、日本政府が帰国費用及び、
滞在費用等の援助を行うことで、
多くの在留日本人が帰国の途に着きました。

その後、帰国希望者の帰国は終了し、現在では、
事情により帰国を断念した、あるいは帰国の意思がない等により、
日系婦人26名がナザレ園で生活していますが、
80歳を超える高齢であり、生活力もないため、
ナザレ園は引き続きその保護を実施しています。
また、同園は、種々の事情により入園できない
日本婦人23名に対しても生活援助を実施しています。

現在のナザレ園の施設は、事務棟、入園者生活棟の二棟により
構成されており、生活棟は、2002年に日本財団の寄付により
寄贈されたものとなっています。
また、同園は、韓日両国の篤志家の協力、日本政府の補助金、
一般からの寄附金等により運営されています。

以上です。
長文にお付き合い頂き、ありがとうございます。

日本人のおばあちゃんたちだけではないんです。
韓国人の老人ホームも併設されてます。

午後2時30分、礼拝堂に高座を組んで開演。
韓国人のお年寄り50数人、職員さんも入り、満員です。
日本語で落語をしたかったのですが、
そうすると韓国人のお年寄りが理解できません。
日本人のおばあちゃんたちは、みんな韓国語が分かります。
長く住んでいるからですね。
あとで聞いたのですが、日本語を忘れてしまった人もいるそうです。
複雑な想いがしました。

高座から、韓国語で「アンニョンハセヨ〜」と呼びかけると、
全員が元気な声で「アンニョンハセヨ〜」。
今度は日本語で「日本のおばあちゃんたち、こんにちは〜」。
すると、僕から見て左前方のグループが「こんにちは〜」。
たったこれだけのことなんですが、とても嬉しかったんです。

「日本のおばあちゃんたち、落語、知ってますよね?」
「知ってます、知ってます」
「落語を日本で聴いたことありますか?」と尋ねると、
何人かが手を挙げてくれました。

あとは、ほぼオール韓国語で落語の説明。
そして、「時うどん」。
目の前で日韓のお年寄りが一緒に笑ってるのを見ていると、
改めて、「落語ってスゴイなぁ〜」と感じます。
30分という短い時間でしたが、とても濃密な時を過ごしました。

終演後、日本人のおばあちゃんたちの席に行って握手。
日本語で、「おもしろかったよ〜」、「たくさん笑いました〜」、
「韓国語がお上手ですね〜」と言われ、ホントに嬉しかった。

93歳のおばあちゃんが言いました。
「昔、大阪で落語を聴きました」
「いつ頃ですか?」
「さあ、いつかなぁ?」
「昭和の初めくらいですか?」
「うん。そうそう、それくらい」
「誰の落語でしたか?覚えてませんか?」
「名前はねぇ〜」
「もしかして、桂春團治とか」
「そう!桂春團治!メガネかけた、桂春團治!」

二代目・桂春團治師匠のことです。
今の春團治師匠の実父。

それを聞いて、なんや分かりませんが、感動しました。
おばあちゃんにとって、それ以来の落語なのかもしれません。
名人「二代目・桂春團治」の次が僕?^^

おばあちゃんたちと記念撮影。
米村さんという、92歳のおばあちゃんには僕の羽織を着せて。
もっと話したかったんですが、みんなご自分の部屋に帰ります。

別れ際、山口県出身の米村さんに思わず聞いてしまったんです。
「日本には一度も帰られてないんですか?」
「いえ、数年前に一度帰りました」
「知ってる人はいましたか?」
「いいえ、誰もいませんでした」

すると、それまで明るい笑顔の米村さんが急に涙ぐみ、
「やはり日本が故郷ですよ」と言ったんです。

辛いことを思い出させてしまったことを後悔しました。

米村さんはこう続けました。
「故郷は日本ですが、今はこうして、日本と韓国の皆さんのお蔭で、
ここで幸せに暮らしています。ありがたいことです」

米村さんだけでなく、他のおばあちゃんも全員が、
僕たちが想像もできない想いを胸に抱いているはずです。
戦争に、歴史に翻弄され、異国の地で生き続けてこられた。

「また来ますね」と言って別れました。

今度は、日本人のおばあちゃんたちだけ集めて、
日本語の落語を楽しんでもらいたいです。

慶州ナザレ園に行けて本当に良かった。

明日の朝、ソウルに移動します。

では、明日からも銀ぎん!^^